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【アラベスク】  第13章 夢と希望と未来



第3節 直向の拗 [5]




 以前、澤村という少年に拉致された事があった。水槽に頭を突っ込まれて気を失ってしまった美鶴。水を滴らせながらグッタリと身を横たえる姿を思い出し、背筋に寒気が走った。
 まさか、またっ!
 焦慮に辺りを見渡す。駐車場の外側に広がるのは暗闇。冬の夜。寒さだけが異様な存在感を示す。
 小童谷、どこだっ!
 身構える背後に人影。振り返る先で、ゆらりと暗闇が揺れた。
「小童谷?」
 瑠駆真の声に、口元が笑う。
「ずいぶんと勇ましいな。俺が何かしたか?」
 相変わらずの飄々(ひょうひょう)とした口調に眉を寄せ、だが何か言う前に別の声が遮る。
「瑠駆真?」
 陽翔の背後にもう一つの人影。
「美鶴」
「瑠駆真? どうしてここに?」
 陽翔を見上げる。
「どういう事?」
 木塚駅で、好きな人の何かを教えてくれると囁いた。
 霞流さんの事を?
 放課後の教室で好きなヤツでもいるのかと問われ、いないと答えた。本来なら、陽翔の言葉など無視すべきであった。だが、美鶴は乗ってしまった。
 霞流さんの何を知っているのだろう? それよりも、どうして私が霞流さんの事を好きだって事を知ってるの? それともこの人は、別の誰かと間違えているの?
 ワケがわからず、だが無視する事もできずについてきてしまった。
 彼はあの日、放課後の教室でこう言った。

「むしろ、俺は君の味方だと思うよ」
「俺と手を組まないか?」

 ひょっとしたらこの人は本当に私の味方で、霞流さんの事で何か私に協力でもしてくれるのだろうか?
 なぜ? 彼が私に協力をしてくれる義理などない。
 いや、義理ではない。たぶん、私に霞流さんの何か情報を提供してくれて、その代わりにこちらにも協力しろと、そのような交換条件を出してくるのだろう。彼は瑠駆真が嫌いだと言った。何か瑠駆真を困らせるような事柄に協力させられるのかもしれない。
 どうしよう。
 正直、小童谷陽翔という同級生の存在は少し不気味だ。何を考えているのかわからない。瑠駆真を執拗に敵視する姿は見方によっては異様なのかもしれない。
 だが美鶴はついてきた。
 霞流さんの何かを、知ることができるかもしれない。
 小童谷陽翔の家もそれなりに資産を持っているらしい。だったら同じ金持ち同士、霞流と何か繋がりがあるのかもしれない。霞流慎二も唐渓出身だ。ひょっとしたら小童谷に兄か姉でもいて、霞流とは顔見知りなのかもしれない。それとも、あの富丘(とみおか)という地域に知り合いでもいて、そちらの繋がりで霞流と面識があるのかも。
 閑静な住宅街という言葉が似合いそうな街並み。その丘の上に建つ霞流邸。
 もしかしたら小童谷は、あの屋敷の中に入った事があるのかもしれない。ひょっとしたら木崎さん達とも知り合いで―――
 仮説が膨らむ。
 無謀な挑戦状を叩きつけておきながら、何をすればいいのか全く思いつかない美鶴。世の中はもうすぐクリスマスだというのに、自分は何も行動できないでいる。

「今度はもう少し、楽しませてくれよ」

 どうしよう。どうすれば霞流さんの心を振り向かせる事ができる?
 膨らむのは焦り。
 どうすれば? 自分はどうすればいい?
 焦慮に(さいな)まれる美鶴にとって、微かな希望も貴重な存在。
 ひっとしたら、小童谷陽翔から何かヒントが得られるのかも。
 そうして美鶴は今、瑠駆真と向かい合っている。
「どういう事?」
 訝しげに見上げてくる美鶴へは小さく口元を笑ませるだけで、視線はゆったりと瑠駆真へ向ける。
「待たせたな」
「あぁ、待った」
 嫌味のように返してやる。
「これだけ待たされたんだ。それなりのモノを見せてくれるんだろうな?」
 瑠駆真の言葉に呟くのは美鶴。
「それなりのモノ?」
 何? 何が起こるの?
 急に胸の内を不安が渦巻き、陽翔から離れようとしてその手首を捕まれた。
「いたっ」
 すごい力。見た目は華奢なのに、どこにこんな力が隠されているんだろう。
 手首に痕が残るのではないかと思われるほどの力で美鶴の手首を握り締め、視線は瑠駆真へ向けたまま陽翔は首を傾げた。
「あぁ、もちろんだ」
 そうしてあっという間に美鶴を抱き寄せる。
「みっ!」
 慌てて一歩踏み出す瑠駆真へ不敵な笑みを浮かべ、陽翔は沁みるような声で囁いた。
「見せてやる」
 そうして一瞬で美鶴の唇に自分を重ねた。
 美鶴も、そして瑠駆真も、時が止まったかと思った。
 呼吸もできず、瞬きもできず、身動きもできない。ただ片手で抱きしめられ、片手で顎を捉えられて不動のままに目を見開く。
 キス、してる?
 重ねられた唇がかすかにズレた。薄くて少し冷たい感触が滑り、その隙間から舌が生き物のように入り込んできた。
 っ!
 仰け反ろうとする身体を男の腕が押さえつける。
 動けない。甘い吐息が響く。目の前で瞳が薄く開いて、笑った。







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